当院について About

沿革

建物でみる創樹会のあゆみと
白内障手術の発展

大正3年 初代院長の大木健治が東京市京橋区にて開業
大正12年 関東大震災後、横浜済生会病院眼科医長
大正5年 豊多摩郡中野町に眼科医院を開設
昭和31年
(1956年)

現在の地、豊島区池袋に新診療所を開設

昭和31年頃の白内障手術
- 大きい切り口で水晶体を取り出す -

濁った推奨体をそのまま取り出すため、切り口は1センチくらいの大きさでした。手術後はレンズの役目をする水晶体がなくなるので、眼鏡で調整するしかありませんでした。眼鏡のレンズはとても厚いものでした。大木眼科でもこのような手術を行い、患者さんは1週間程度の入院をしていました。当時の入院室は畳敷で三食病院食が供されました。

昭和36年

建物を増築し入院施設を増床

昭和47年

旧大木ビル(5階建て)が完成
 ー超音波乳化吸引術の導入と眼内レンズの開発ー

1970年以降は白内障手術が大きく進歩しました。

新しい5階建て大木ビルには検査機器も増え、診療所として充実した入院施設が整いました。

1970年代に11mm切開で行われていた白内障手術も1980年頃からは超音波により濁った水晶体を細かく砕き吸引する術式に進歩し、併せて眼鏡の代わりに眼内レンズを挿入することで視力の矯正ができるようになりました。

この傷口が小さく、感染症や乱視になる心配が軽減する術式はさらに進歩し、1980年頃からは、折り畳み式の眼内レンズが開発されました。これにより手術のための切り口は6㎜程度まで小さくなりました。

1992年(平成4年)に白内障の眼内レンズ挿入術が健康保険適用になりました。これは術式の安全が確認されたということを意味しています。多くの眼科医と開発に関わった人々の努力が実りそれまでの患者さんの身体的、心理的、そして経済的負担が減りました。

大木眼科では平成8年に医療法人社団創樹会を設立し、より地域の医療に貢献できるよう体制を整えていきました。術式の変更は、入院期間の短縮につながり、逆に術式に合わせた検査器機の導入も続きました。平成10年以降、手術を受ける患者さんは入院と日帰り、どちらでも選べるようになりましたが、院内では病床数を減らして検査スペースを拡張する傾向になっていきます。そして、平成26年にはすべての手術を日帰りとし、病床数を「0」としました。

平成8年 法人設立 医療法人社団創樹会
平成29年

老朽化による大木ビルの建替えのため、KDX池袋ビルへ一時移転

時代の変化、手術や診療の進歩に合わせて院内の診療スペースの変更と改装を繰り返してきましたが、大木ビルも老朽化が進み、ついに取り壊し、新ビルを建設することになりました。そのため、現地から徒歩3分のKDXビル7階に仮診療所をオープンし、診療・手術を継続しました。

平成31年
4月

新大木ビル完成
- 新しい時代に向けて -

シンボルツリーに桂の木が植樹された新ビルは、新しい時代のニーズに応えられるよう設計されました。効率と患者さんの負担軽減を考え手術室を増室し、患者さんのプライバシーを重要視した診療室は4室、時間のかかる検査も落ち着いて受けられるようにゆったりとしたスペースを確保しました。その他、バリアフリーはもちろん、多様化の時代に合わせて施設設備を拡充しました。

2019年からのコロナ禍に際しても、24時間循環換気システムの空間でありながら、さらに高性能空気清浄装置を設置することで、多くの患者さんに安心と安全を感じて頂いています。大木眼科は今後も多様化する治療に併せて診療空間もスタッフもその質を高めて参ります。